【小倉唯】内田雄馬さんとのニュースとリプ欄界隈に関して
Googleでこれまで検索したり興味のある人や物事の関連のニュース、記事が良くおすすして表示されるようなことがあって、どうしてもつい目にしてしまうようなことがあって目にしたくなかった情報が飛び込んできた。
今回はこちらであまり取り上げるようなつもりはなかったことを書く。
先日の記事の最後に書きました、誤解についてをTwitterに弁解を行った件、ニュースの発端について。個人的に怒りというより、呆れを感じた。
小倉唯さんの『匂わせ』、某男性声優との交際をしているんじゃないかという疑惑を向けた言葉が寄せられたらしい。
また、言葉の限度の知らない無神経な言葉が小倉唯さん自身のTwitterアカウントに寄せられている。そこら辺について話していきたい。
リプ欄を見ればそういうコメントが実際にあったし、私個人としては不快にも感じられた。まるで、有名な人間だから何を言ってもいいようなばかりにセクハラに近い言葉まであった。
まず、何から語るべき分からないが、いろいろ書きたいことがあるから多分二転三転しながら書く。ご了承願う。
本題
例えば、憧れを感じている相手には本能的に期待をしてしまうのが人間の性という
ものなのではないだろうか?
好きだと思う相手に、出来れば自分の”可能性”があって欲しいと。少し期待をしてしまう。某アイドルグループの恋愛禁止はそのやり方で見事な集客力があるだろう。
その可能性を期待できないのは分かっているが、出来れば誰かのものになっていないで、”綺麗”なままでいて欲しいと思ってしまうのだ。
相手がどういう人間であるかまで管理できないから誰とも付き合っていたりしていないことが安全だと思ってしまうのかもしれない。
もしくは、”小倉唯”という”ポップアイコン”と化した姿が誰かのもとに行くことにより、自分の思っていたイメージから離れて行って距離感を感じてしまうのかもしれない。それまでのキャラクター性とのギャップだ。
それは、正直”恋愛”や”交流”というものへの悪い方向に印象を感じているからなのではないだろうかと思う。
自分と重ねた時、有るか無いか、だ。
女性ファンも多いことだし、彼氏いるいないで自分と”小倉唯”さんを重ねて境遇を共有できている感覚を覚えるようなこともあると思う。
そうするとそれこそ、もし”小倉唯”さんから交際相手の存在が匂ってくると機微に感じるファンもいるかもしれない。
小倉唯さんは恋愛が禁止されているというわけではないが、やはりファン個人個人が抱く印象というのは様々ある。
それは、『幸せであれば良い!』と、プライベートは本人の自由だと言えるファンもいる。
小倉唯さんは、声優、アーティストで、しかしやはり一人の個人である。
個人と呼ぶにはあまりにも個人的には特に輝いて見えてしまうのはあるのは拭えないが、どうしても一人の人間である。プライベートを束縛やとやかく決めるような権利はファンには無い。
しかし、ありえない事ではあるが、例えば小倉唯さんが『罵声を上げて食べ物を投げる』とかいう粗末な事、『レストランで注文して何の理由もなく食べず退店』するようなことをすればどうだろうか?
改めて言うが、ありえないはずの例え話だ。ご理解を。
今あげた2点の例え話を小倉唯さんがやっていたとしたら印象はやはり良い印象ではないはずだ。
もしこういうことをやればこれも一部の人間からは批判が飛び交うだろう。
何故か? それは粗末だからだ。どうしてもマナーを求められる常識がある。
もしかしたら離れてしまうファンも出ることだろう。
再三言うが、小倉唯さんがするはずがないだろうが。
ここでなぜ反発の声が上がるのかというと、やはり印象と裏腹の印象が加わるからだ。(前述の例はもちろん誰でもやってはいけない事だが。)
その”小倉唯”という印象を語りたいと思う。
小倉唯さんは外見としては輪郭、頬の丸み具合と少し大きめで惹かれるつぶらな”瞳”を持っている。
まったくもって無垢な瞳である。
この純そうな瞳がファンを釘付けにさせるチャームポイントだ。
それから、殆ど話しては笑顔になり、その外見に合い、幼く、少し細く跳ねたような話し方のポップさが聞いている者も心をはねさせ、高揚感を与えるような効果があるだろう。
そして、その幼さがやはり『可愛い』と。まるで赤子や小学生でも見るような感覚にさせてしまうのだろう。
2014年ごろの某番組に出演した際、英語の練習していると言いながら
英語で好きな食べ物は何ですか?という質問に『TAMAGO』と答えた天然のど天然と来た。
それは心配やちょっかいを出したくなるファンも出るだろう。
しかし度が行き過ぎるのはやはり良くないと思う。
それは、下品な単語を持ってきては、ちょっと大人の世界に連れ込もうとするような言葉。
無神経にもほどがある。
また、甘えたような赤ちゃん言葉を使ったものもツイートの中で見かけたりもした。
このような事をする者は、言葉の通り『甘えん坊』もしくは、『自分より弱いものをいじることにより自分を優位な位置に感じたい』者だ。どちらにしても『甘えん坊』故である。
正直”甘えん坊”な発言をする者はあまり小倉唯さんにとっては不快に感じても眼中には無いのかもしれない。
どちらかというと、小倉唯さんは応援の言葉をピックアップしがちなところがあるからだ。
正直甘えん坊発言は女性からすれば頼りない言葉でしかないから相手にするまでの『言葉』ではない。男性ファンが男らしくなくて正直恥ずかしいとすら思う。
小倉唯さんは小倉唯さんにとってメリットにならない意見には目を閉じて、向上心があるのが人柄が素敵だと思う。
実際、このような甘えた言葉が小倉唯さん自身に直接向けられたことがある。
小倉唯さんの出ているラジオやアニメとかのイベントに参加した人は一度は目撃したことがあるだろうと思う。
それは、
時には、
はたまたこのようなことまである。
前述3件は無断でYouTubeにアップロードされているから良くはないが、参考までに。
あと、コチラとかもオススメしておこう。
まあ、セクハラ陣このようなファンがいることは重々承知の事だろう。
当然、限度があるから具体的な下品な単語が飛び交うのは人の神経を理解できない故、もしくは、不快感を与えられると思ってあえてそうすることによって悦に浸る変態だ。
どっちにしても限度がある。
同職は言っても限度が分かっている。
時には過剰に抱き着くようなの女性声優がいるが女性だから許される。
ネットを介して面識もなく、信用までちゃんと築けている関係性でもない顔も分からない人間から無作為に言葉が送られてくることに恐怖を覚えることもあるだろう。
そこのところはファンである前提に、人間として限度を守るべきである。
小倉唯さんが言う『信用している』は、独占的にならないで、限度を守って下さいという言葉が隠れていることを覚えておいて欲しい。
もちろん、これは小倉唯さんだけに限らず、どのアイドル、アーティスト、俳優でも有名である限りそういうファンを抱えてしまうという事は事実ある。
どうしても依存させてしまう有名人というのは、『心を掴む』という事のきっかけがあるからである。
小倉唯さんには人の『心を掴む』魅力があるのは事実だし、
感じない人もこの世の中居ることは事実、人間それぞれには魅力的に感じる『タイプ』というのがある。
その中で一人、『小倉唯』さんを僕が見つけて惹かれたのは人柄含めて『タイプだったから』である。
初めてテレビで拝見した際は、人の目を気にして発言を選んでいるようなところはあったが、テンションが上がると正直な事を言うまっすぐな方だったから自分はそういう人柄を感じて小倉唯さんを応援しているし、尊敬をしている。
だからというわけではないが、小倉唯さんの生き方を尊重し、出来れば生きたいように生きて、邪魔はしたくないと思う。
尊敬していて、幸せになって欲しいからこそ、応援を続け、CDは買うし、ライブには参加するし形として支援を続ける。
簡単に離れるような信用はしていない。
それだけは理解して、出来るだけファン皆にも同じであって欲しい。
また、『匂わせ』だとかで批判をしている者がいたという件だが、
この件に関しては、『内田雄馬』さんファンの方にも独占欲だとかを抱く者がいるという事だろう。独占欲と言っても、『私たちのゆうまたそ』という意味だ。
どちらにしても、独占的になることによって、発言が過激になって応援している方の知り合いを叩けば応援している人の方も傷が付くという事には気づいて欲しい。
『うちのファンが間違ったことを言ってごめんね』という事になりかねない。
そして、それによって傷付けが連鎖するから少なくとも、善ではないことは早く理解してくれ。
その上で、有名人やたくさんのファンを抱える表現者たちは、自分自身をファンにどういうイメージを与えたいのかという事は気を付けることはした方がいい。
もし、自由に生きたいのであれば『自由の方向性』を大っぴらに言っておいた方がいい。
万が一の疑いに『自由発言』で免れることができる。
第一に、ファン同士での争いは少なくとも小倉唯さんは望んでいないだろうし、無神経な発言もそれこそ望んでいないし、誰かたった一人だけに向けてではなく、みんなに応援されていたいことだと思う。
勿論、一人一人がファンという大衆を生んでいてその一部である貴重な存在という事はないがしろに感じないで欲しい。
表現者が、表現者という個人としてファンにイメージを与えているのは事実でファンを作っている。だからたった一つの印象でファンが離れることもあれば、ファンでもない外野から辛辣な言葉を投げられることもあるだろう。
自分をどういうイメージにしたいのか、どういう風な関係性で、距離感を保ちたいのかは、やはり表現者本人次第である。
しかし、ファンもファン同士でイメージを与え合う事もできる。人間だ、攻撃的な発言は出来るだけ控えて向き合ったコミュニケーションをするべきという事は胸にとどめて置いて欲しい。万が一の事態が起こらないように。
とにかく、小倉唯さんは子供っぽくていじりたくなってしまう事も分からないわけではないが、24歳の立派な、
しかし、内田雄馬さんのファンの方の大きな熱量の嫉妬(?)というかファンである表現がカッコいいなあと思った。
ファンだから当然だと思うけど本当に好きなんだなーと感じる強い気持ちがあるのを感じた。私も小倉唯さんの事を悪く言う人が居たり、嫉妬もすれば必死に怒ったりすると思う。
だけど、やっぱり今回の一件では巡り巡って内田雄馬さん自身にも迷惑が掛かったと思うけれど、小倉唯さんへのリプにとげとげしい言葉があったのは、やはり内田雄馬さんとしてはそういう言葉は好きではないと思う。応援している方の表情を曇らせたくはないもの……。
小倉唯さんからの回答に関して「言葉足らずだ」とか、「その話は余計だ」という事だったりもリプ欄にあったらしいけれど、それは論点がずれているから前述のとおりどちらのそれぞれの今後の活動を応援しましょう。
とりあえず今回の一件は落着であることを私は願うよ。
あとがき
小倉唯さんがどういう方向に進みたいのか汲み取って応援するのが、応援させて頂いている者たちのわきまえであろう。
語彙力のない甘えん坊は小倉唯さんの話は理解できているのか?
小倉唯さんを守ろうとして過激な発言をすれば争いが起こり兼ねないし、相手側を傷つければ巡り巡って小倉唯さん本人も傷つくということに気付かないのか?
独占されていないからこそ輝いて見えていることに気付いてくれ。
遠い存在だからこそ、より輝くものだ。
日高里菜さんが言うように小倉唯さんは天使だから人間が相手できる訳がない…というのはまあ表現の一つとして、そこんとこ、限度として理解しておこうよ。
一人一人のファンが大切でも、ファンがたった一人だけになってしまった時、小倉唯さんは嬉しいかい?
それではそれでは。
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